ご挨拶
ごあいさつ
はじめまして、榊税務会計コンサルティング事務所の榊 佑太郎と申します。
当事務所のホームページをご訪問いただき誠にありがとうございます。
私は、北海道の日高という競走馬生産の地として日本で最も有名な地域に生まれ育ちました。
私の実家も先代より数十年と競走馬の生産・育成牧場を行っており、会社と古くからお付き合いのあった税理士さんが経営者目線のとても誠実な先生であったこともあり、幼いころから私も税理士になり、世の中の企業や経営者の方々のお役に立ちたいと思い税理士を 目指しました。(大企業を中心に業務を行う公認会計士ではなく、あえて税理士と決めました)
海外赴任と日本の技術
大学を卒業後、2006年から2019年まで13年間に渡り、世界最大手の一つであるプロフェッショナルファームにて税務、会計について多くの経験をさせていただきました。
また、幸運にも2013年~2015年までの3年間においては、アメリカはケンタッキー州に海外赴任をさせていただき、主に自動車部品メーカー等の数多くの中小企業に法人・個人税務サービスを提供させていただきました。(私は中小企業という言葉がどうしても嫌いでミドルマーケットカンパニーと呼ばせていただいています)
米国赴任期間に感じたのは、日本の技術がどれほど海外において価値が高いか、日本のミドルマーケットカンパニーがどれほど世界に貢献しているかということでした。
もちろん日本有数の企業も数多く進出していますが、進出企業の多くは首都東京から数百キロ離れた地方都市にある、呼び方が適切でなく大変失礼かもしれませんが、いわゆる町工場と呼ばれるような会社さんで、そういった会社さんが海外に進出して一生懸命頑張っている姿に私は大変感銘を受けました。
海外赴任と日本の技術
大学を卒業後、2006年から2019年まで13年間に渡り、世界最大手の一つであるプロフェッショナルファームにて税務、会計について多くの経験をさせていただきました。
また、幸運にも2013年~2015年までの3年間においては、アメリカはケンタッキー州に海外赴任をさせていただき、主に自動車部品メーカー等の数多くの中小企業に法人・個人税務サービスを提供させていただきました。(私は中小企業という言葉がどうしても嫌いでミドルマーケットカンパニーと呼ばせていただいています)
米国赴任期間に感じたのは、日本の技術がどれほど海外において価値が高いか、日本のミドルマーケットカンパニーがどれほど世界に貢献しているかということでした。
もちろん日本有数の企業も数多く進出していますが、進出企業の多くは首都東京から数百キロ離れた地方都市にある、呼び方が適切でなく大変失礼かもしれませんが、いわゆる町工場と呼ばれるような会社さんで、そういった会社さんが海外に進出して一生懸命頑張っている姿に私は大変感銘を受けました。
海外赴任と日本の技術
大学を卒業後、2006年から2019年まで13年間に渡り、世界最大手の一つであるプロフェッショナルファームにて税務、会計について多くの経験をさせていただきました。
また、幸運にも2013年~2015年までの3年間においては、アメリカはケンタッキー州に海外赴任をさせていただき、主に自動車部品メーカー等の数多くの中小企業に法人・個人税務サービスを提供させていただきました。(私は中小企業という言葉がどうしても嫌いでミドルマーケットカンパニーと呼ばせていただいています)
米国赴任期間に感じたのは、日本の技術がどれほど海外において価値が高いか、日本のミドルマーケットカンパニーがどれほど世界に貢献しているかということでした。
もちろん日本有数の企業も数多く進出していますが、進出企業の多くは首都東京から数百キロ離れた地方都市にある、呼び方が適切でなく大変失礼かもしれませんが、いわゆる町工場と呼ばれるような会社さんで、そういった会社さんが海外に進出して一生懸命頑張っている姿に私は大変感銘を受けました。
バブル崩壊からの決意
また、話が遡ってしまいますが、私の幼少期は日本全体がバブル絶頂の真っ只中、私の実家の会社も新しい事業にチャレンジすれば不思議とどれもこれも上手く行き、業界全体がいけいけと言わんばかりの雰囲気、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
しかし、当然そのような絶頂期が永遠に続くはずもなく、次第に世間の景気は悪化していきます。
私の生まれた日高地方では売上がそれなりの規模であっても家族で経営しているような比較的小さな会社が多いのですが、時代の流れに合わなくなってしまった会社がここ数十年で数多く倒れてしまいました。
そして、会社だけが倒れてしまうのであればまだよいものの、経営者の方々というのはその現実を受け止めきれずさらに自分を追い込み、大変悲しいことに経営者自らその命を絶つ方も大勢いらっしゃいました。
私自身が小さいころから子供のように可愛がっていただいた、お世話になった方々も何人もその命を自ら絶ってしまわれました。
その残された家族をたくさん見てきました。本当にショックで受け入れられない出来事ばかりでした。
私がその当時に、そういった経営者の方々の近くで税理士として会社を支援できていたらどうだったのだろうかと考えることがよくあります。
もちろん、所詮税理士というものは会社の外の人間ですし、経営の全責任を負う経営者本人にはなれないかもしれませんが、同じ方向を向きその経営者の方々の悩みを聞いてあげることはできたのかもしれないなと思います。
ミドルマーケットカンパニーの皆様のお役に立ちたい
税理士という職は、本来そんな状況で会社や経営者が追い込まれる前に、そういった状況に陥らないように日々の会計数値を見て、その会社の経営の未来を想像し、アドバイスをしなければなりません。
誰もが耳にしたことのある有名な会社は誰かが守ってくれるからよいのです。
経営者の方々の責任はその数だけ分散されます。しかし、ミドルマーケットに属する会社はそうではありません。
一人ですべてを背負っている経営者の方々が大勢います。
私が、長年勤めた税理士法人を退職し独立しようと思ったのは、税理士になったきっかけを改めて思い返し、そういったミドルマーケットカンパニーの皆様の
お役に立ちたいと思ったからです。
そして、自分が生まれ育った北海道という地、もっと言うと自分を育てていただいた日高の競走馬業界に貢献したいという気持ちを強く持っていたからほかありません。
税理士として、以上に、一人の人間として
ミドルマーケットカンパニーや競走馬産業を担っている法人、個人、経営者の方々は人材不足であるこの時代に、その限られたリソースを使用し、本業に注力せざるを得ません。
したがって、いわゆるバックオフィス業務である会計や税務にリソースを割くのが大変難しく、また、効率的に、効果的に数字の管理ができていない側面があります。
そのような状況で課題を抱えている、または思いもよらずその課題に気づかれておらず無駄な税金を払ってしまっているお客様に対してヘルスチェックを行い、総合的に経営コンサルティングを行いたいと考えています。少しでもその会社のビジネスが上手く行くように。
また、テクノロジーが発展しているこの時代ならではの方法で、少しでもお客様の業務を効率化できる(ラクをして正しい数字を作れる)よう、精一杯サポートさせていただきたいと思っています。
会社にも命があり、経営者も一人の人間です。私は、単に税理士としてだけではなく、一人の人間としてお客様皆様にとって身近に何でも相談できるような存在になりたいと切に願っています。
税理士 榊 佑太郎
税理士 榊 佑太郎 経歴
1984年1月 | 北海道日高 新冠町生まれ |
2002年3月 | 北嶺中・高等学校 卒業 |
2006年3月 | 慶應義塾大学 商学部 卒業 |
2006年9月 | 税理士法人プライスウォーターハウスクーパース(現PwC税理士法人)入所 |
2012年4月 | 税理士登録 |
2013年1月 | 米国PwC Cincinnati事務所に赴任(2014年よりTax Manager) 主に米国個人所得税業務に関与 |
2015年12月 | 日本に帰国後、日系及び外資系企業に対する国際税務、企業組織再編、税務デューディリジェンス業務及び確定申告業務に関与 |
2019年9月 | PwC税理士法人を退職 |
2019年10月 | 榊税務会計コンサルティング事務所及び合同会社チェスター 開業 |
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